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去年、知り合いが本をだしました。
「カナリアノート」という本です。
著者は出版会社を運営していて、「アーク」
という雑誌を発行しています。
その9号で、岡本敏子さんと対談したのですが、
そこでカナリアについて話しています。
この9号は人気で在庫がないらしいので、
ここにちょっとだけ、カナリアトークをご紹介します。
「カナリアノート」
amazon:
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E2%80%95%E6%9C%AC%E8%B3%AA%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%AC%A1%E5%85%83-%E6%9D%B1%E9%83%B7-%E7%A6%AE%E5%AD%90/dp/4902550105
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岡本:(カナリアは)敏感に感じるのよね。
東郷:そうです。それで自殺したり、気がふれてしまうこともありましたね。
だから感性の鋭いカナリアが強くならない限り・・・。
岡本:その通り!カナリアはいっぱいいるの。でもね、弱いカナリアでは
世の中変えられない。
東郷:人間は古代に遡ってみれば、みるほど、本来鋭い感性を持っていた
生き物だったと思うんですが、聴覚も味覚も、現代では考えられない
ほどの鋭い感覚を持っていたと思います。そのころの感性を残して
いるのが本当のカナリアだと思うのです。一般の人の中にも、本来
眠っているものですよね?
岡本:感性だけではないのよ。いのち全体。
現在もいろいろなことを感じている人はいっぱいいるのよ。
眠っている人ももちろんいるけどね(笑)。
感じているんだけど、どう表現したらいいか、それが自分で
つかめない人って多いわね。
特に今の時代は多いでしょう?
東郷:多いですね。
敏感で、感受性が鋭いということは、いつも社会が要求する限定
されたものと、あるいは自分の未熟さと対決するわけですよね。
人間関係もそうですが、その葛藤がカナリアを磨いていくんですよね。
岡本:そうよ。鈍い人は分からないものねぇ。でも、そういう人ほど敏感に
傷つくのよ。
(中略)
岡本:私がいま夢を託すのは、にんげん個人個人だわ。
社会じゃなくてね。人間の肉体の生命感。
ひとりひとりが向きあう関係が、もうちょっとヒタッと向き合うようになって
それがだんだんと増えていったらもうちょっと変わるんじゃないかな、
と思うの。
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対談のなかではカナリア的存在として、ゴッホやロマン・ロラン、
ジョルジュ・バタイユ、スーザン・ソンタグ、トロツキー、キューリー夫人、
アナイス・ニン、和泉式部、そしてもちろん、岡本太郎をあげています。
残念ながら、敏子さんはすでに他界されてしまいましたが、
著者は「カナリアノート」を出版するまで、敏子さんの支えを感じたと
話していたのが印象的でした。
よかったら、ぜひ「カナリアノート」を手にとってみてください。
著者のブログも、こちらでご覧いただけます。
「編集長のページ」
http://www.leyline-arc.com/henshucho/
ついさっき、夕飯を食べながらテレビをつけたら、アマゾンの番組が
やっていた。
アマゾンに住むインディアン、日本からの訪問者である大沢たかおと
蒼井優らが語る言葉を聞きながら、さまざまなメッセージが私の中で
湧き起こってきた。
アマゾンのチーフは言う。
「文明社会では、お金があればいろんなものが手に入る。
アマゾンで暮らすわたしたちは、それらを買うお金を持っていないが、
アマゾンの自然は必要なものをすべて与えてくれる。
お金のある暮らしは便利かもしれないが、私はそこに行くと
檻の中に入れられたような気分になる。」
ちょっと前に、友人に誘われたイベントで南研子さんという方の
レクチャーを聞く機会に恵まれた。彼女はこの20年近く、アマゾン
インディアンたちを支援してきている。話の内容が面白かったので
彼女の著書をさっそく取り寄せ、読んでみた。そのなかでしきりに
「貨幣システムのないアマゾン」という記述がでてきていた。
一見、お金のないくらしは私たちの目に、この上なく不便な、窮屈な
生活という印象を与える。しかし、反対側から見てみると、わたしたち
のほうがよっぽど窮屈な生活をしている、というわけだ。
チーフの言葉に耳を傾けながら、目の前に盛られた数枚のお皿とおかず、
そのまわりにある物に囲まれたスペースを眺めまわしてみると、一体、
私ひとりのためにどんなにたくさんの物が必要なのか、とげんなりした。
ふと目をつぶって想像してみた。
私にはなにもない。
身に着けているもの以外、ほとんどのものはない。
家もない。お金もない。
だけど、目の前には食べ物やほかの必要なものを与えてくれる
無限の庭がある。
今日はここを寝床にするが、明日になればまた着の身着のまま、
次の場所に移動するだけ。
家のこともなにも、なんのわずらわしさもない。
そんなスペースにいる自分を想像してみたら、なんとも心が
軽やかになってきた。
番組の最後に、別ルートからアマゾンに入ったナビゲーターの
二人が合流し、お互いの旅行から得た感想を語り合っていた。
大沢たかお氏は、長い年月かけた自然風化によって変形した
岩石がまるで動物や人の顔、世界にあるすべてを彫刻したように
見えてきた、と話していた。
「それらはあらかじめ設計された都市のように見えた。
自然やこの世界は人間なんかよりもっと大きなものによって
つくられている、ということを実感した。
俺らなんて、ほんとちっぽけだよね。」
蒼井優ちゃん
「よく人は自然を守らなきゃいけないという。そういうことも
大事だと思うけれど、ここにある自然と向き合っていると
自然から”大丈夫”って言われてるような感じがしました。」
人間は自分より偉大な存在を目の前にすると、自分たちの
無力さと同時に、自分たち以外の存在を感じるようにできているようだ。
この番組で紹介されていたインディアンたちの神話が、いま読んでいる
ユングにもリンクして興味深かった。
ある部族は、自分たちが世界で最初につくられた人間だという神話を
持ち、いまでもそう信じている。
彼らは聖なる木と呼ばれる山の近くにあるいくつかの穴から生まれ、
そこから23つの部族が生まれたという。
この話を聞きながら、ユダヤ人の神話を思い出した。
選ばれた民としてのユダヤ、そして彼らの祖先となる7つの部族。
人間はどうも同じような志向性を持っているようだ。
そのような思考を走らせるものは、結局のところ、自分たちがどこから来て、
どこに行こうとしているのか、という疑問のような気がする。
ユングも本のなかで、彼個人の神話を語っている。
神話でしか人のすべては語れないと言う。
いつの時代にも生きる神話。
あなどっちゃいけません~~

先週末、行ってきた那須の温泉神社。
自然のなか歩くっていいな~♪
私の飼ってる猫です。

名前は上の茶色がソラ。
下に隠れてるのがルナ。
そう、由来は、solar & lunar.
太陽と月。
ちょうど、色柄もぴったり。
ソラはまさに太陽のゴールドカラー。
ルナは月夜を思わせるダークカラー。
Yes, I'm being overtly romantic!
anyways... もともとノラだった彼らを見つけて
くれた知り合いの家に、ピックアップしに
行ったのが、ちょうど一年半前。
知り合いとお茶しながら、話題になったのが”月”でした。
Rさん:
「ねぇ、"lunatic" (狂人)は月の "lunar" から来てるの?」
私:
「そうですよ。よく満月の夜は犯罪が多くなるっていうじゃないですか。
引力の関係で血が騒ぐんじゃないですか。狼男も変身するのは満月の夜ですし。」
Rさん:
「確かにそうだわね。ってことは、今日はほぼ満月だから、
魔女の集会ってことになるかしら?まさにルナティックパーティーね!」
やや嬉しそうに盛り上がる知り合いのお二人。
楽しそうな彼女たちの笑顔を眺めながら、ふとひらめいた。
私:
「Rさん、私、猫の名前決めました!”ルナティック”にかけて
”ルナ”っていうのはどうですか?」
Rさん:
「まあ、もう決めたの?いいんじゃない?ルナティックなくらい元気だし」
ということで、無事に(ノリ?)命名されたkitty をバスケットに入れ、家路に
着いたのでした。
その10日後に来たのが「ソラ」。これは、ルナあってのソラである。
ちなみに彼らは兄妹である。