2009年1月28日水曜日

new year - cat - book - eat



昨日、、、というよりもう一昨日か。

旧正月が明けました。

なんとなく気分がフレッシュで、私のからだには旧暦のほうが

しっくりくるよう。


猫の写真なんか撮ってみました。

うちにはこたつがないので、私の椅子やソファーの上で

丸くなっています。


クッションをふとんにしているソラ。


ルナのお得意ポーズ。いったい、なににリーチしてるのだ?



猫って平和でいいな~とたまに思うのですが、彼らには

彼らなりのものを背負っているのでしょう。



社会人になる前くらいから、働くことの意味がわかりませんでした。

それを友人に言うと、どことなくそれは”贅沢な悩み”というオーラを

だされて、明解な答えをくれる人は周りにいません。

ところが、この前のエントリーで紹介した東郷さんにふと伝えると

「わかるわ。すごくわかる。」

と一瞬にして理解してくれた。

いままでの時間はなんだったんだろう、とそっちで悩みそうになるぐらい

の一瞬で。(笑)

うまく言葉にできていなかったんだけれども、そこでようやく

私が疑問に感じていたことは、あながち的外れじゃなかったんだ、と

気が楽になった。そして、私は生きる上に置いて、働くという行為の

意味を知りたかったんだ、と合点した。それぐらい、漠然とした疑問だったのだ。

もちろん、生活のため、家族を養うために働くことはわかる。

けれど、それだけなのか?もっと、働くことから得られるものは

あるんじゃないか?それが生きがいというものなんじゃないか?

ならば、生きがいとは一体、なんぞや?

問いは果てしなくつづく。

今週末は、禮子さんを囲んで、何人かの友人たちと

対話する予定なので、またいくつかのヒントを得られるだろう。


以前、母にすすめられた本。まだ読んでません。



http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E7%A5%9E%E8%B0%B7%E7%BE%8E%E6%81%B5%E5%AD%90%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E7%A5%9E%E8%B0%B7-%E7%BE%8E%E6%81%B5%E5%AD%90/dp/4622081814




東郷さんにはさまざまな本を教えてもらった。

そのひとつに、JSミルの「自由論」がある。

貸していただいてから、ずっとデスクの上に鎮座したままだった。

昨日、ふと気になってページを開いてみる。

そこには社会のなかで生きる個人の自由について書かれていた。

私たちがいま、当たり前のように言う個人の「表現の自由」、

「個性の自由」のルートがここにあった。



http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%AB%96-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-J-S-%E3%83%9F%E3%83%AB/dp/4003411668/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1233078321&sr=1-2

空気のように扱っていた「自由」という概念が、ある一人の人によって

深い考察のなかで生まれ落ちた「自由」というイメージが

いまもわたしたちのなかで息づいていることに、あらためて驚嘆。

雑草が生えるように、ただそこに出現するのではなくて、

過去のある地点で、見ず知らずの考え深い人が見出したもの

から、知らぬ間に私たちは益を得ているものだ、としみじみ。

そう考えると、多様なものから支えられて自分が生きているのだ。soo 感謝!


と、ここまで書いて、まだまだ自分が感じていることをうまく言葉に

落とし込むことのできなくてちょっと消化不良。

それも、このブログを始めた理由のひとつ。

地道に消化して、言葉に置き換えていけたらそれでいい。



canary note


去年、知り合いが本をだしました。

「カナリアノート」という本です。

 著者は出版会社を運営していて、「アーク」
 
 という雑誌を発行しています。

 その9号で、岡本敏子さんと対談したのですが、

 そこでカナリアについて話しています。

 この9号は人気で在庫がないらしいので、

 ここにちょっとだけ、カナリアトークをご紹介します。







「カナリアノート」

amazon:
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E2%80%95%E6%9C%AC%E8%B3%AA%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%AC%A1%E5%85%83-%E6%9D%B1%E9%83%B7-%E7%A6%AE%E5%AD%90/dp/4902550105

~~~~~~~~~~~~~

岡本:(カナリアは)敏感に感じるのよね。

東郷:そうです。それで自殺したり、気がふれてしまうこともありましたね。
    だから感性の鋭いカナリアが強くならない限り・・・。

岡本:その通り!カナリアはいっぱいいるの。でもね、弱いカナリアでは
    世の中変えられない。

東郷:人間は古代に遡ってみれば、みるほど、本来鋭い感性を持っていた
    生き物だったと思うんですが、聴覚も味覚も、現代では考えられない
    ほどの鋭い感覚を持っていたと思います。そのころの感性を残して
    いるのが本当のカナリアだと思うのです。一般の人の中にも、本来
    眠っているものですよね?

岡本:感性だけではないのよ。いのち全体。
    現在もいろいろなことを感じている人はいっぱいいるのよ。
    眠っている人ももちろんいるけどね(笑)。
    感じているんだけど、どう表現したらいいか、それが自分で
    つかめない人って多いわね。
    特に今の時代は多いでしょう?

東郷:多いですね。
    敏感で、感受性が鋭いということは、いつも社会が要求する限定
    されたものと、あるいは自分の未熟さと対決するわけですよね。
    人間関係もそうですが、その葛藤がカナリアを磨いていくんですよね。

岡本:そうよ。鈍い人は分からないものねぇ。でも、そういう人ほど敏感に
    傷つくのよ。

   (中略)

岡本:私がいま夢を託すのは、にんげん個人個人だわ。
    社会じゃなくてね。人間の肉体の生命感。
    ひとりひとりが向きあう関係が、もうちょっとヒタッと向き合うようになって
    それがだんだんと増えていったらもうちょっと変わるんじゃないかな、
    と思うの。

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対談のなかではカナリア的存在として、ゴッホやロマン・ロラン、
ジョルジュ・バタイユ、スーザン・ソンタグ、トロツキー、キューリー夫人、
アナイス・ニン、和泉式部、そしてもちろん、岡本太郎をあげています。


残念ながら、敏子さんはすでに他界されてしまいましたが、

著者は「カナリアノート」を出版するまで、敏子さんの支えを感じたと

話していたのが印象的でした。

よかったら、ぜひ「カナリアノート」を手にとってみてください。

著者のブログも、こちらでご覧いただけます。

「編集長のページ」


http://www.leyline-arc.com/henshucho/