昨日、、、というよりもう一昨日か。
旧正月が明けました。
なんとなく気分がフレッシュで、私のからだには旧暦のほうが
しっくりくるよう。
猫の写真なんか撮ってみました。
うちにはこたつがないので、私の椅子やソファーの上で
丸くなっています。
クッションをふとんにしているソラ。
ルナのお得意ポーズ。いったい、なににリーチしてるのだ?
猫って平和でいいな~とたまに思うのですが、彼らには
彼らなりのものを背負っているのでしょう。
社会人になる前くらいから、働くことの意味がわかりませんでした。
それを友人に言うと、どことなくそれは”贅沢な悩み”というオーラを
だされて、明解な答えをくれる人は周りにいません。
ところが、この前のエントリーで紹介した東郷さんにふと伝えると
「わかるわ。すごくわかる。」
と一瞬にして理解してくれた。
いままでの時間はなんだったんだろう、とそっちで悩みそうになるぐらい
の一瞬で。(笑)
うまく言葉にできていなかったんだけれども、そこでようやく
私が疑問に感じていたことは、あながち的外れじゃなかったんだ、と
気が楽になった。そして、私は生きる上に置いて、働くという行為の
意味を知りたかったんだ、と合点した。それぐらい、漠然とした疑問だったのだ。
もちろん、生活のため、家族を養うために働くことはわかる。
けれど、それだけなのか?もっと、働くことから得られるものは
あるんじゃないか?それが生きがいというものなんじゃないか?
ならば、生きがいとは一体、なんぞや?
問いは果てしなくつづく。
今週末は、禮子さんを囲んで、何人かの友人たちと
対話する予定なので、またいくつかのヒントを得られるだろう。
以前、母にすすめられた本。まだ読んでません。

http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E7%A5%9E%E8%B0%B7%E7%BE%8E%E6%81%B5%E5%AD%90%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E7%A5%9E%E8%B0%B7-%E7%BE%8E%E6%81%B5%E5%AD%90/dp/4622081814
東郷さんにはさまざまな本を教えてもらった。
そのひとつに、JSミルの「自由論」がある。
貸していただいてから、ずっとデスクの上に鎮座したままだった。
昨日、ふと気になってページを開いてみる。
そこには社会のなかで生きる個人の自由について書かれていた。
私たちがいま、当たり前のように言う個人の「表現の自由」、
「個性の自由」のルートがここにあった。

http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%AB%96-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-J-S-%E3%83%9F%E3%83%AB/dp/4003411668/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1233078321&sr=1-2
空気のように扱っていた「自由」という概念が、ある一人の人によって
深い考察のなかで生まれ落ちた「自由」というイメージが
いまもわたしたちのなかで息づいていることに、あらためて驚嘆。
雑草が生えるように、ただそこに出現するのではなくて、
過去のある地点で、見ず知らずの考え深い人が見出したもの
から、知らぬ間に私たちは益を得ているものだ、としみじみ。
そう考えると、多様なものから支えられて自分が生きているのだ。soo 感謝!
と、ここまで書いて、まだまだ自分が感じていることをうまく言葉に
落とし込むことのできなくてちょっと消化不良。
それも、このブログを始めた理由のひとつ。
地道に消化して、言葉に置き換えていけたらそれでいい。
