去年、知り合いが本をだしました。
「カナリアノート」という本です。
著者は出版会社を運営していて、「アーク」
という雑誌を発行しています。
その9号で、岡本敏子さんと対談したのですが、
そこでカナリアについて話しています。
この9号は人気で在庫がないらしいので、
ここにちょっとだけ、カナリアトークをご紹介します。
「カナリアノート」
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岡本:(カナリアは)敏感に感じるのよね。
東郷:そうです。それで自殺したり、気がふれてしまうこともありましたね。
だから感性の鋭いカナリアが強くならない限り・・・。
岡本:その通り!カナリアはいっぱいいるの。でもね、弱いカナリアでは
世の中変えられない。
東郷:人間は古代に遡ってみれば、みるほど、本来鋭い感性を持っていた
生き物だったと思うんですが、聴覚も味覚も、現代では考えられない
ほどの鋭い感覚を持っていたと思います。そのころの感性を残して
いるのが本当のカナリアだと思うのです。一般の人の中にも、本来
眠っているものですよね?
岡本:感性だけではないのよ。いのち全体。
現在もいろいろなことを感じている人はいっぱいいるのよ。
眠っている人ももちろんいるけどね(笑)。
感じているんだけど、どう表現したらいいか、それが自分で
つかめない人って多いわね。
特に今の時代は多いでしょう?
東郷:多いですね。
敏感で、感受性が鋭いということは、いつも社会が要求する限定
されたものと、あるいは自分の未熟さと対決するわけですよね。
人間関係もそうですが、その葛藤がカナリアを磨いていくんですよね。
岡本:そうよ。鈍い人は分からないものねぇ。でも、そういう人ほど敏感に
傷つくのよ。
(中略)
岡本:私がいま夢を託すのは、にんげん個人個人だわ。
社会じゃなくてね。人間の肉体の生命感。
ひとりひとりが向きあう関係が、もうちょっとヒタッと向き合うようになって
それがだんだんと増えていったらもうちょっと変わるんじゃないかな、
と思うの。
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対談のなかではカナリア的存在として、ゴッホやロマン・ロラン、
ジョルジュ・バタイユ、スーザン・ソンタグ、トロツキー、キューリー夫人、
アナイス・ニン、和泉式部、そしてもちろん、岡本太郎をあげています。
残念ながら、敏子さんはすでに他界されてしまいましたが、
著者は「カナリアノート」を出版するまで、敏子さんの支えを感じたと
話していたのが印象的でした。
よかったら、ぜひ「カナリアノート」を手にとってみてください。
著者のブログも、こちらでご覧いただけます。
「編集長のページ」
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